「昭和から平成、令和へ。ムーミンアニメの歴史」裏ヴァージョン

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前置き

自分のブログは久しぶり(というか、年始のご挨拶以来)の更新です。
現在、ムーミン公式サイトにて毎月第一金曜日公開のブログ(「ムーミン春夏秋冬」もしくは「ムーミンクイズ」)を連載しています(ただし、わたしは公式サイトや著作権管理会社の所属ではなく、フリーランスのライターです)。

今月は、ムーミン春夏秋冬「昭和から平成、令和へ。ムーミンアニメの歴史」。新作アニメ『ムーミン谷のなかまたち』待望の地上波(Eテレ)放送を記念して、ムーミンアニメの歴史を取り上げました。

これまでBS4KやひかりTVなどでの放送で、 見たくても見られなかった方に気軽にご覧いただくチャンス到来!  といっても、同作が作られたのは2019年で、すでにソフトもシーズン2まで発売されています。

ご覧になったことのある方も多いでしょうし、ストーリーや概要はすでにあちこちで紹介されていますから、それをなぞってもおもしろくない。それにわたし、昭和版『ムーミン』(フジテレビ系)を再放送で、平成版『楽しいムーミン一家』はリアルタイムで、令和新作『ムーミン谷のなかまたち』はソフトで、ほぼすべて見たことがあり、昭和に関しては一部はセルVHS、残りは個人的に録画したDVDが、平成もセルDVDと、『冒険日記』は録画DVD(あくまでも資料として私的に記録したもので売買目的ではありません)を所有していて、現在も必要に応じて繰り返し観ている、つまりあやふやな記憶や思い出に基づいてではなく、いつでも改めて検証可能な状態にある、数少ないひとりなんです。

昭和アニメに関しては、間違った情報をネット上で目にすることが多々あります。しかも、昭和版も平成版もいまだ関心や人気が高い。これはフラットかつ正確な情報をお伝えするチャンス!と意気込んで、ついつい昭和について語りすぎてしまい、あまりにも長くなったので平成はまた次の機会に~、令和はこれから放送する作品について詳しく説明するなんて野暮よね~と思っていたら、昭和に関する文章も画像もほぼ削除することになってしまいました。

が、何日もかけて資料を読み、書いた文章をこのまま眠らせるのは残念すぎる(もう、本を書くか雑誌に寄稿できるといいんですけど。オファー大歓迎でございます)。Twitter などで小出しにするか、noteか、と考えて、休眠状態だった自分のブログに戻ってきました。

ただ、引用には、「引用部分よりも長い独自の文章があり、論旨を伝えるためにその引用が必要であること、引用元を明記すること」などのルールがあります。公式サイトに残したメインの文章はここには転記できませんから、引用パートが長くなりすぎるため、新たに大幅に加筆しました(作業分がもったいないからといってさらに作業を増やしているという謎)。説明不足の部分もありますので、公式サイトのほうと併せてお読みください。また、そのような事情で、大急ぎで私的にまとめたものですから、推敲が足りていない/誤解を招きそうな箇所もあるかもしれません。ご興味のある方はご自身で一次情報にあたっていただければと思います。

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昭和アニメ『ムーミン』について

昭和アニメ『ムーミン』がフジテレビで放送されたのは1969年。前提として、当時は今のようにメールやインターネットどころかファックスすらなく、海外旅行も一般的ではなくて行き来するのも一苦労という時代でした。また、言葉の壁もあり、おそらくは契約上の取り決めが今ほどシビアではなく、(一般的にも制作陣も)著作権に関する意識が低かったと思われます。
当時を知る関係者のなかにはすでに他界なさった方も多く、当事者の証言とて記憶違いがないという保証はありません。ここでは、出版物の記述に間違いはないといったんは信じつつ、複数の資料を照らし合わせて大きな齟齬がないと思われる事柄をつなぎあわせています。もちろん、その部分をピックアップするという行為においてわたし個人の主観が入りますし、著者の本来の意図からズレが生じることもあるかと思います。ですが、誰か(何か)を貶めたり否定したり批判したりするつもりはなく、何があったのか、シンプルに整理したいという目的であることは明記しておきます。

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2017年発行の『ハイジが生まれた日』(岩波書店刊/ちばかおり著)。この本はすごいです! 綿密な取材に基づき、ハイジを中心に日本のテレビアニメ創成期を丁寧かつ劇的に描き出しています。モノクロでムーミン以外ですが、貴重な図版も収録。これはもう一冊丸ごとお読みいただきたいのですが、そのうちの一章が「『ムーミン』という試金石」。昭和アニメ『ムーミン』制作の立役者でもある瑞鷹エンタープライズの高橋茂人氏に直接取材した証言に基づき、企画立案の経緯から制作、放送後のことまでが綴られています。

高橋氏は志を持ってトーベと直接交渉するためにフィンランドまで出向きました。

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』  (河出書房新社刊/トゥーラ・カルヤライネン著/ セルボ貴子・五十嵐淳訳)によると、アニメの交渉にやってきた日本人関係者はドイツ語を少々話せる程度だったため、思うように意見交換が進まなかったものの、トーベはアニメ化を了承。

しかし、当時の日本の視聴者や流行りに合わせて大胆にアレンジされた作品は、真っ白いはずのムーミン族の体に青やグレーの色がつけられているなど、原作とは全くの別物でした。

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トーベが問題点を指摘した手紙の全文(日本語訳)は『日活アクション無頼帖』(ワイズ出版刊/山崎忠昭著)で読むことができます。その書き出し部分を少し引用してみましょう。

「まず、出発点からまちがっている。即ち、ムーミン谷、ムーミン的考え方がすべてちがって表現されている。(略)このまちがいを救う唯一の道は、この作品に携わる者全員が良くムーミンの本を読み、ムーミンの世界に溶け込み、そのフィーリングを感じて理解していただくより他にないように思う」(『日活アクション無頼帖』より引用)

具体的には「ムーミンパパが息子の尻を叩くなどは考えられない」「もっと長い耳」「手をぜったいに長くしない」「特に注意してほしいことは、ムーミン家の人々には口はないということ(略)決して、決して歯は描かないこと」といった細かい指示が続きます。
興味深いのが「この世界では誰も人の尻を叩くことはしない。(略)たとえば、お互いにコーモリ傘でたがいの頭を叩き合うぐらいで、決して腕力をふるわない」という箇所。傘で頭を叩き合うのはかなりのバイオレンスな気がするのですが、西洋だとお尻を叩く=スパンキングには日本とは異なるニュアンス(単なる体罰ではなく、性的な含み)があるのではないかと。つまり、行き違ってしまった理由のひとつに、文化的な意識の違いというものも関係していたのだろうなと想像ができます。実際、今、『ムーミン』を見返すと、人権やジェンダー平等、ポリティカルコレクトネスの観点からドン引きするような描写がありますが、そこは断罪する前に時代背景を考慮すべきでしょう。

しかし、2007年発行の同書によれば、脚本を担当した山崎氏の認識は「北欧の片田舎に住むトーベ・ヤンソンという老婦人」といったノリで、同じく脚本家の雪室俊一氏もインタビューで「スノークとか、ああいう面白いキャラクターは、全部、山崎さんがつくったんですよ。だって、原作を読んだら、たんなるのどかな話で、ほんとにつまんないんでびっくりしましたもの」(『日活アクション無頼帖』より引用)と語っています。

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1989年発売のLDの解説によれば、最初の制作会議に参加したスタッフは誰も原作をよく読んでいなかったそうです。原作も原作者も知名度が低かったとはいえ、原作をリスペクトするのではなく、それを超えて独自のおもしろいものを作ろうという姿勢だったことが伺えます。

その頃、日本ではギャグ漫画やスポ根ものが流行っており、当初は子どもたちに大人気だった新幹線をムーミン谷に走らせる案や、ムーミンがショックを受けるとぺちゃんこになって空気を入れて膨らませると元に戻る(!)といった企画もあったほど。

また、来日の際に通訳を務めたビヤネール多美子氏の『スウェーデンの小さな庭から』(オークラ出版刊/ビヤネール多美子著)によれば、日本滞在中に『ムーミン』を見たトーベは自分の作品の扱いに耐えかね、泣きだしてしまったといいます。
ソースが明記できないのですが(後援会やトークで聞いたのかも)、トーベがテレビを見ないよう、放送時間になると散歩に連れ出した、という話も聞いたことがあります。
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『熱い想いをもう一度…… 藤川桂介傑作TVシナリオ集』(風塵社刊/藤川桂介著)には、なんと、『ムックリ ムーミンちゃん』「ズドンと一発 夜が明けた」という、タイトルからして異なる幻の脚本が収録されています。
脚本ですから姿は想像するしかないのですが、キャラクターの名前も「バッチリママ」「ブライドパパ」、スノークのおじょうさんは「シャロン」、スノークはツンツンしたインテリだから「ツンテリ」、ギター片手に釣りをするスナフキンと思われる人物は「ボッチ」! 他にも、アチコチ、ヨボヨボ、ゲラゲラ、アタフタ、ガッツキ、バッチリ、コロリン、ビックラ、トボケ、マトマッタと、誰が誰だかさっぱりわかりません(笑)。西部劇ふうの決闘あり、列車あり、科学実験ありのドタバタ喜劇に仕立てられています。
タイトル未定のもう1作は、『たのしいムーミン一家』のトフスランとビフスランのエピソードを描いたもの。ストーリーは小説をベースに進みますが、ムーミン谷にやってきた「モチツ」「モタレ」夫婦が「だノサいじょうぶ?」と“ノサ”を挟んで喋る、ルビーをめぐるブルット(モラン)との決着が異なるなどの変更がみられます。

同書収録の3本の脚本のうち、実際に映像化された第65話「おやすみムーミン」では、キャラクター名はほぼ原作のまま。旅立つスナフキンムーミン谷のみんなに手紙を書き、それをモランが配って歩くという原作ではありえない展開ながらも、冬眠前の谷の様子を描いた、ほのぼのと優しい内容です。
1969年版最終話で眠りについたムーミンたちは、1972年に再び始まった第2期の第1話で冬眠から目を覚まします。脚本はどちらも藤川桂介氏です。

1969年版『ムーミン』は、放送途中でいきなり制作会社が東京ムービーから虫プロダクションに交代する、という“事件”もありました。特に、切り換えとなった27話は「顔をなくしたニンニ」を原作に忠実に描いたため、一週間前の番組とは全然違う雰囲気に。あまりの変化に視聴者から驚きの声が上がり、トーベの意向も踏まえながらも以前のテイストに戻していく、という軌道修正がなされました。

このとき、原作者からのクレームが原因で制作会社が代わった、という噂もあったのですが、キャラクターデザインと作画監督を務めた大塚康生氏の著作『作画汗まみれ 改訂最新版』 (文春ジブリ文庫)によれば、東京ムービーで大塚氏や演出の大隅正秋氏らが手がけたのは、そもそも他の仕事(『ルパン三世』)がスタートするまでの期間限定でした。

なめらかな動きにこだわるあまり、予算を大幅にオーバーしてしまった、という問題もあったそうです。
どちらの事情も原作者とは無関係。トーベが求めたのは日本以外の国での放送をしないことであって、日本では1970年までと、1972年の2期に渡って続き、VHSビデオやレーザーディスクなどのソフトも販売/レンタルされていました。

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作画監督を担った森田浩光氏が『虫プロダクション資料集1962-1973』で語ったところによると、トーベは実際に虫プロにも足を運び、何度も話し合いを重ねました。
例えば、ちびのミイやスナフキンの手を黒くしてほしいと望みましたが、手袋ではなく素手が黒いというのは日本の風土に合わないと判断、日本風のアレンジで通すことになったといいます。番組開始前ではなく、すでに放送は始まってしまっていましたから、途中での変更は難しいという側面もあったのだと思われます。

その他の資料

アニメに関する記述は少ないですが、トーベ・ヤンソンについてもっと知りたい方に今いちばんオススメしたいのが10月26日に発売されたばかりの決定版評伝トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』(フィルムアート社刊/ボエル・ヴェスティン著/畑中麻紀・森下圭子訳)。トーベの生き方、考え方、創作へのこだわりがよくわかる一冊です。

 

『ミンネのかけら ムーミン谷へとつづく道』(岩波書店刊/冨原眞弓著)はムーミンコミックスやトーベのムーミン以外の小説、『小さなトロールと大きな洪水』などを訳された冨原氏による随筆。トーベさんと直接の交流があった著者にしか知り得ない貴重な事柄が端正な文章で綴られています。平成アニメにまつわる記述も。

 

1993年発行の『名作アニメ もうひとつの物語』。時代色が濃く、今読み返すと、ん?と思う箇所が盛りだくさんなのですが、(「釣りバカスナフキンは今ならペケ社員!?」とか「アルシンドもびっくり!スノークの髪はかつら」とか。内容もわりと適当)、ムーミンを含む全24作の流れをざっくり知ることができます。

 

昭和ムーミンファンはとっくにご存知だと思いますが、演出家のおおすみ正秋氏とキャラクターデザインおよび作画監督大塚康生氏の対談。超貴重。単純な勘違い(90年版の『楽しいムーミン一家』でスノークが鬘を被っている、とか)が散見されることからもわかるように鵜呑みはできないけれど、当時の事情や本音を伺い知ることができます。

osumi.air-nifty.com

 

『Pen』のムーミン特集にも、アニメの歴史を詳しく書きました。日本以外の作品も含む流れを知ることができる一冊。懐かしい写真も多数掲載していますし、平成版の名倉靖博さんのインタビューなども。ムック版(緑)のほうが情報が新しく、ムーミンバレエやパーク、新作アニメなどのページが追加されていますが、一部、収録されなかった記事も。雑誌(青)には、昭和版に詳しい大谷さん(ノーザンライツフィルムフェスティバル実行委員)とビクターで平成版DVDを手がけてきた久保さんの対談、『劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス』の監督と声優さん(高山みなみさん、かないみかさん)などがあるので、アニメファンの方はぜひ両方お読みください。

 

 

余談

平成アニメも令和アニメも、同音タイトルの原作小説が存在します。ややこしいのですが、平成アニメは『楽しいムーミン一家』、小説は『たのしいムーミン一家』とアニメが漢字表記、令和はアニメが『ムーミン谷のなかまたち』で原作が『ムーミン谷の仲間たち』と漢字表記です。
すべてのテレビシリーズは小説とコミックスを原作とした作品をベースに、オリジナルストーリーを混ぜて作られており、タイトルが同じでも特に関連が深いわけではありません。ちなみに、初昭和アニメは正確には69年版も72年版も『ムーミン』で、72年版が『新ムーミン』というのは通称です(テレビ欄に「新『ムーミン』と記載されたことに由来。VHSなどのパッケージに「新」の文字はありません)。

ついでに、アピールしておくと、もし今から「原作小説を読んでみよう!」または「子どものときに読んだきりだから再読しよう!」という方がいらしたら、新装版ではなく新版をぜひ! 新装版の文庫ボックスセットはお手頃サイズ&価格なのですが、訳が改訂前のままなんです。じょじょに文庫も電子書籍も改訂後の新版に切り替わっていくはず(電子版は旧版と新版の両方が存在しているらしい)ですが、紙で読むなら新版! 図版もきれいになっていますし、原語のスウェーデン語に基づいて、読みやすい日本語に修正されています。旧版は翻訳者が何人もいて、英語から訳した方もいらっしゃるので、間違いが多く、巻ごとに表記が違って混乱することも。そういうプチストレスが新版では解消されています。

あと、ムーミンミックス。よく「ムーミンはノーマネー、ノーカー、ノーファイト」と言われるのですが、あれはトーベ自身の言葉ではない可能性が高い。実際、小説『たのしいムーミン一家』には銃が出てきますし、コミックスにはお金も鉄道も出てきます(描かれ方が肯定的か否定的かはさておき)。アニメの原作として使われているエピソードも多いので、アニメ好きの方はコミックスもお好きかも。第4巻『恋するムーミン』には新作アニメ『ムーミン谷のなかまたち』第1話のミイのお話が収録されています。

おまけ

もうまとめる気力がないので、画像で誤魔化します。


公式サイトには掲載できなかった平成アニメ『楽しいムーミン一家』の氷姫グッズ(販売はとっくに終了。現行の商品には氷姫はいません)。賛否両論あるようですが、ターゲットである子どもが怖がりすぎない、でもわかりやすい表現としては、おもしろかったんじゃないかなと思います。それにトーベさんご自身がOKしたわけですからね。
ちなみに新作『ムーミン谷のなかまたち』の氷姫は雪女系でわりと怖かったです。
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昭和(というか原作)のスノークと平成のスノーク。令和版にはシーズン3にスノークが出てくるようですが、どうやら眼鏡&前髪バージョンみたいです。f:id:Too:20211106171219j:plain