講演会

Too2014-10-25

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』の著者であり、現在、横浜そごうで開催中のトーベ・ヤンソン展の元になったアテネウム美術館のトーベ・ヤンソン回顧展の監修を務めたキュレーターでもあるトゥーラ・カルヤライネンさんの講演「生誕100周年 ムーミンをつくった芸術家 トーベ・ヤンソンの知られざる素顔」に行ってきました@日比谷図書文化館コンベンションホール。

 会場前の展示。

 昨年の講演(レポ→Gallery A4とamuの講演会)ではいろいろと衝撃を受けたのですが、その後、2冊の評伝や雑誌の特集記事を読み、それまであやふやだったことがはっきりしてきたので、今回はどんなお話になるのかな〜と期待して向かいました。
 まず、去年の講演は英語だったのですが、今回はフィンランド語で、通訳はフィンランドセンターの方。ムーミン&トーベの知識もおありのようで、スムーズでわかりやすい訳でした。トゥーラさんもちゃんと通訳の間を踏まえて、区切ってお話をなさっていました。ただ、訳の間にモニターの画像を次に送ってしまうことが何度もあって、トゥーラさん、イラチやわぁ(笑)とウケることたびたび。
 メインのお話はトーベさんの作品や写真をモニターに写して、解説をつけていく形式。ヤンソン展の展示にも沿っていて(職業訓練校の大きな壁画など、日本には来ていないけれど、重要な作品の解説もあり)、ところどころ飛ばされてしまったり、物足りない箇所もあったものの、よく“練られた”講演だなという印象を受けました。
 ビジュアルがないと書き起こしても意味が通じないと思うので、おもしろかった話と気になった点を。
*もうムーミンを書きたくないと思っていたトーベが『ムーミン谷の冬』を書くことができたのはトゥーリッキ・ピエティラのおかげだから私たちは彼女に感謝しなければ。(トーベの分身、アルターエゴである)ムーミンとトゥーティッキが出会う『冬』は「愛の物語」ともいえる。
*『冬』に出てくる雪、寒さ、孤独は、漫画を描き続けてきたことによってトーベが受けてきたストレスを表している。
*「目に見えない子」についてアメリカの友人(エヴァ・コニコフ)に「私も自分の顔がほしい」と書き送った。
*後に友人となったヴィヴェカ・バンドレルがクルーヴ島を訪れて「井戸もなくてどうやって生活しているの?」と聞いたら、「そうね、確かにそうだけど、ときどき雨も降るしね」と答えた。
*楽園(パラティッシ)を求めていたトーベはようやくクルーヴ島を見つけた。小さな島で仕事をして、料理も行ったが、寝るのは外のテントだった。
*トーベにとって母はとても大切な存在だった。トゥーリッキと母の折り合いが良くなかったため、トゥーリッキとふたりになれるという意味でもクルーヴ島は大切だった。
*美術界には抽象画の時代が訪れていたが、ヤンソンは画家としても物語を伝えたいと思うタイプだった。物語を伝えることができないとなると彼女にできることは非常に限られてしまう。トーベにとっては難しい時代だった。しばしば何かを加えてしまった(例えばイス)。または抽象画に見える作品でも実は波や岩の絵だったりする。
*オーランド諸島の切手にもなっているフィリフヨンカがいる絵(ヤンソン展にも来ている「シェッラ岩礁の絵」)、「友人に描いた」とさらっと紹介されていた気がするのですが、オーランド諸島美術館所蔵でもあり、オーランドで絵画展を手がけたときに寄贈した絵ではないかと思われます。

*平屋っぽい最初のムーミン屋敷のジオラマ、トゥーリッキが(と?)作ったと紹介されていましたが、最初だとするとペンッティ・エイストラが作ったものでは?という気がしました。
*『ムーミン谷の11月』の雰囲気を描くためにひとりで海岸に移り住んだ(展示の説明では「友人たちのいる海岸に」というような感じだった記憶が。ペッリンゲだと思うので、周囲に知り合いはたくさんいたはずですね)。
*嵐、雷が好きなトーベはニョロニョロに似た傾向を持っていた。嵐がひどくなればなるほど興奮する。
*いちばん大事なのは仕事、次に愛。だから愛する人といっしょに仕事をするというのはいちばん素晴らしいことで、実際、彼女は非常に多く行ってきたと言えます。
 質疑応答がおもしろかったので、メモ。
Q:漫画の連載は辛かった。そのムーミンで有名になったことは彼女にとって辛かったのか、本当は画家として活動したかったのか?
A:どのような作品を発表してもムーミンの作者ということから逃れられないことで苦しんでいたし、辛く思っていた。ムーミンだけでなくいろんな分野の才能を持っているということが理解されなかった。
Q:壁画などもあるが、一般のフィランド人にとって、ムーミンの作者と画家、どちらで知られているのか?
A:やはり画家、風刺画家としては知られていなかったが、回顧展などもあり、だんだん認知されてきている。また、ムーミン以外の大人向けの小説の作者としては前々から知られていた。
A:母親との関係について。30歳まで母と共に暮らした(too注:母だけでなく、父も同居。弟は不明)。政治的、恋愛的に、革新的だったトーベだが、母から支配的な影響を受けていたのではないか。トゥーラさんは母の影響をポジティヴに捉えているか、ネガティヴに捉えているか。
Q:母の愛ととても大事なものだった。母が認めてくれる、受け入れてくれているというのが非常に大事なものだった。アトスと結婚せずにいっしょに暮らしていたという、当時では考えられない行動をとっていたときも、母が認めてくれていることで安心して続けられた。同性愛についてもお母さんが認めてくれている、私を見捨てていないということが精神的に大きな意味を持ち、支えとなっていた(too注:といっても母にはっきりと自分の恋愛関係について告げたことはなく、黙認、という状態だった)。芸術的にも母が認めてくれるのは大きな意味を持っていた。ただ、私もそれが完全にポジティヴなものだったかというと疑問に思います。母に密着して生きてきたというのがありすし、だいぶ年がいってから家を出たのも、お父さんとの関係がそれほど悪くなければ、そのときに家を出ていなかったかもしれない(too注:お父さんとは政治的な考え方で対立。一時は食後に吐くほどのストレスになっていた)。
……お腹がすいたので、今日はここまで。明日は更新する暇がなさそうなので、続きは月曜です。ごめん!
 2階にも関連展示がありました。





↓トゥーラさんのご著書。

↓トゥーラ版より先に出たボエル・ウェスティン著の『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』もぜひ読み比べていただきたいです。

講談社文庫のノートシリーズ第4弾はムーミンママノート!

 情報メモ。
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【雪印メグミルク】『ムーミン一家と楽しい食卓!オリジナルのお皿プレゼントキャンペーン』のご案内平成26年11月1日(土)~平成27年2月6日(金)|雪印メグミルク株式会社のプレスリリース
*11月1日からケンタッキーでムーミングッズ付きセット販売。27日からはマグセット。
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/268/268265/